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紙切れが宝だったりする

紙切れがその時の自分にとっては宝だったりする、と、
ノートのはしに宝を見つけて、はっとして思い出した。
以前は、大事なゴミと言う言葉を使って、そのことを、抱えていたけれど
それを基準にして、ものの選び方とか、持ち方とか、制作を、考えていたきがするけれど、
なんか、
いつのまにかそれをすてようすてようとしていた気がする。
ひとへのあこがれがまじっているし、
何がいい方法なのか学んできたことを束ねるものを持っていないきもしてきて、
今は整理がついていない。

できごとは消えていってしまうけれど、忘れていってしまうけれど
それを当然だと受け止めているけれど
それを当然だと受け止めているからこそ
それを
それでもぐっと覚えるという抵抗を体ですることを
私はやめたくなくて
そこには道具も使える。
というのが
制作をする理由のうちの一つではないかと考えている。
センチメンタルな所から出発している。

ーーー

全部を覚えておきたいとは思えない、
それは自分が原因でそうで、
(人が原因の嫌な記憶の反芻はある程度は甘い味がする)
(人を原因にしてしまえば嫌な記憶の反芻はある程度は甘い味がする)
(自分に責任を見なしたいと思っている)
なんというか、なんでこんなふうにしか、生きられないんだろう、と
不思議で、というか、世界に申し訳なくて、そういうことばかり考えると世界にいられなくなりそう、全部を覚えておきたいとは思えない、記憶をすべて失って生まれた時からやり直したい、のだけれど
それでも、それも、
うすれても、なくならないということを
考えたい
忘れたく無いことを忘れてもその出来事自体は消えない
忘れたいことを忘れてもその出来事自体は消えない

ここを消える、としても消えない、としても
たえがたいけれど
ギリギリのところで
消えないのだろう。に振れる。
それは、消えないでほしい、と、考えているということにもよるのだと思う。
どんな記憶も、
脳が忘れても、
あったことはなくならない。

受け止めていく方向で考えたい
忘れたいことは全部埋めていい、のだけれど、そこには、埋めると言う自分の行為が、
自らの選択した能動が
かかせないのだと思っている。

だから制作に向かっていると言うと、まとまるけれど、
世界で、生活で、
方法はそれだけじゃない。
ただ、方法はそれだけじゃない中で選び取っているなりの、
向いている方法というのはきっとあって、
頭と体を使って考えて、ものものに、紙切れに、助けてもらいながら、
今までやってきて
(制作をやってきて、というのと、それで生活をやれている所は本当にある)

で、これからやっていくにあたって
今までやってきたことを常に捨てながら行くことが大事、と、もちろんそうなんだけれどそれだけじゃなくて、いつのまにかなんか色んなことをすっ飛ばして短絡的なエッセンスだけをキーワードに抱いてしまって、
今までを捨てなきゃと思っていたけれど

今までのことも大事にしてあげていいし
また、
これまでのやりかたでは、歯が立たないことも、きっと、沢山あるのだと考える。
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