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スノボは自分が滑らないと帰れないと知った。

最近初めて全く1人で運転をしました。

助手席に誰も乗ってもらわないで走るのは免許取得(6年前)以来、初めてのことで、
最近練習もしていたし、
それは、到着し、もちろん無事に終わったのだけれど、
しかし、終わる前のその当時は、無事に終わるかどうかはわからないわけで
無事に終わるだろうかと思いながら、無事に終わるんだと思ったりしながら、
実際には、無事に終えるようにひとつひとつ行為していくしかなく、
私はそのとき
これはスノボに似ている。
と思った。

逃げられなさにおいて。


私は今年初めてスノボに行きました。
妹に行くよ今日いまから、と、つれてもらって。
そして、今までの人生でなった事のない程の筋肉痛にその後3日間なった。
今まで使った事がない筋肉を使う事になったからだ。

その日
まあなんとか、滑れるような感じになって、
けれど最後に登ってしまった坂が
私にとっては、とても厳しいもので、
滑り出しがどうしても出来なくて、私は、くやしさと、こわさと、さむさと、つかれとで、その時しばらく泣きました。
というか泣きたかったので泣いて
妹は「本当に泣いてる」といっていた。

今考え直してみれば
滑りおりる行為をしたくて、したくないので、その代用として、泣く行為をしたかったのではないかと思います。
しかし、それは、何にもならなかった。
その状況から抜け出すには
この場所からおりるしか無くて
でもそれには
自分の体で自分が滑り降りるしかなくて
その逃げられなさには、この滑れない体からの逃げられなさがあって
そこでは、
自分の体で行為を遂行する事でしかその行為を終えられない
という、
当たり前の現実があった。
登ってしまった坂
そこからはもう、自分の体が動くしか無くて、そこでは、本当に知らない筋肉を使うことになった。


リフトで坂を登ってしまうことからしか使えない筋肉がある。
自分の今までの体のキャパを越えた場所は、あって
そこからはじまる自分の行為が自分の体を、かえることは、ある。


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初めての地元での展示というのを控えています。
逆に凄い、アウェーと言うか、
色々考えすぎてしまってただ作るみたいなことを立ち止まりがちにしているんだけれど
そこからやっぱり私の体を使って
やるしかない。
坂に登ってしまった、と思うと、大悩みも、元気が出ます。
おりれないかもしれないけれど自分でおりるしかない坂が、
そのつど、時期毎、現れてくれる時期だと思っています。


その自分が行為することしかない、という孤独は
駅まで自転車をとりに歩いた時に感じた
春の風が体に実際に当たる空気の気持ちよさにも、通じると感じます。
この身体であることで感じられる、
ひとりでしかないこと、
しかし、ひとりであれること、
いつか
このここちよさの記憶は、
未来の年おいた私を支えるだろう、と思った。



本当に、物事には到達、みたいなことは一応しかなくて、
捕まえたかと思えば逃げてしまうし、
別に捕まえたからと言って、そのあと食べるか生かすかしないで握っているとそれは腐っていく
本当に、考え続けるしかない、ということに、
うんざりして、死ぬまで終わらないのか、
とか思う時もあるけれど、
なんというか、
行為が過剰になってくると言うか、
その波の上で考える事になってくると、
やっぱり面白くって
その展開も
まだ、以前捕まえたもののバージョン違いみたいなものだとは、いいきれなくて、
長生きしたいなと、思います。
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