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もしかしたら、こわさに耐えられなくなってきているのかもしれない。

2017年3月10日、
信濃毎日新聞朝刊の、金曜アートというコーナーで掲載していただきました。


私の齋の字は新聞には使われないことになっている字なのでまちがいではないです、実家の表札この字だし、なんでもいいんだよと言われて斉藤って書いてた時もあった。ほんとになんでもいいのかな。

信濃毎日新聞朝刊2017.3.10掲載


クリックすると、拡大できると思うので、文面を読んだらたのしいと思います!
宇宙ぎみ、うれしい
うれしそう、写真が
(場が混沌としてきて、これはどういう状況でしょう、へへ…ともにゃもにゃ言っていた写真が掲載で、へへ…となった)
顔面が、盛れていない。


私がよく、方法、別の方法、と言っているのを、
言い当て、という呼び名で新しい触り方を作っていただけたのも、読んでいてとてもたのしかった。
実際のインタビュー時では、話がボンボン飛んで行く、めちゃめちゃな喋りでしたから、
こんな風に、意味にしていただいて、すごく、うれしいです。


これ、うまく喋れなかったなあ本当に、
うまく喋れることなんて、ないんだけどほんと、、、と思ったのは
文章の中で触れていただいている、
小さい頃の今を覚えておくゲームと言うのは、殆どそうなのだけど、
それはかなり今絵画等でやっていることに近い言い方で、
小さい頃のそれは、もっと抽象的で、
「覚えておこうと思ったことを覚えておこうゲーム」
つまり、
「今、覚えておこうと思った!このことを、覚えておこうと思ったこと自体を、覚えておこう…」
という、成功不成功が判明しなさすぎるゲームでした。
ただそれには視覚が伴っていた実感もあって、
だから殆ど、書いていただいてあることが、やっぱりそうなのだけれど
少しだけ、もっと
もっと手がかりがなくて、こわくてたのしいゲームだった。今は、もしかしたら、こわさに耐えられなくなってきているのかもしれない。それで、視覚とか、物とかを、たよりにしているのかもしれない。と言うことを記事を読んでさらに考えました。

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