The 5 Day Art Challenge 3


3回目
The 5 Day Art Challenge
‪#‎5dayartchallenge‬
1回目→https://www.facebook.com/haruka.saito.589/posts/754514751322651
2回目→https://www.facebook.com/haruka.saito.589/posts/756976331076493?pnref=story
(1回目)なんか時間とか表そうとしてるけど
(2回目)描いてる間も時間がほんとうに経っちゃうからやばくてひとふでがきするしかない、身体がわりとムキムキ、みたいになって、

でも、
え?時間ってそういう風に、
一本の、線上に、流れているみたいなものではないんじゃないの?もしかして。
重力とか関係あるんじゃないの。
物が、静止していたとしても、そこには常に重力と抗力がかかってるという意味で運動していて、また、その静止は地球の外から見たら自転に伴って静止ではないという意味で運動し続けていて、
日が昇って落ちて一日が経つ、ということが起こるのも、地球が重力に因って公転と自転運動しているからだし、
人が酸化したりニコニコしたり死んだりするのもエネルギーの現れの問題で、

乱暴な言い方をすれば

本当は時間なんてものは流れてなんかいなくて

生物も含めたものものがエネルギーを伴って現れている総体が、
便宜的に、「時間が流れている」と呼ばれているだけなんじゃないか。

で、それらが
自分たちも含めながら現れている場所は
重力の働き続けている地面の上である、
私たちがこの形で今存在して見ることが出来るのは。
ということから油彩やインスタレーションつくっていました。




「すべてが地にかえった時まったくの静的平衡が訪れるとして、それ以前を継続(物体は立体、液体はすべてしみこむ)」F100 キャンバス、油彩 2011
タイトルちゅうにっぽすぎてヤバいですがキレキレでした。
今読み返してもこれ以外にない。
意味としては、
今目の前に現れている絵も自分も物もすべてが時間が経つといつかは地面に落ちきって、静的平衡(平衡とは物に働く合力が0の状態(運動し続けるか停止し続けるか))がおとずれちゃうんだけれど、
今はそれ以前の時(=空間)にいるので、
今物体は空間に立体として現れているので目の前に見えるし、液体は、空間に対して落下運動をつづけている、地面に達するとしみこむというような意味合いです。
あと、キャンバスがフラットな地面とみなせる空間設定でかいてました、そこに液体の絵の具がしみこむというのもあった。



★★
「すべて秒速0mで落下し始め加速」2011
人が立っている空間(時間)に
器それぞれから、それぞれの速度で水がポタポタ、落ち続けている作品です。
そうとしかいいようがないからうーんっておもってたけど、見返したら、いいじゃん…ってなった。
私は本当にこの時、
今が本当に今しかないんだってことを痛いほどわかっていたんだ、頭で解る以上に本当に痛いほど、と、写真を見て、思いました。
卒業というのもあったのでしょう。



★★★
「着ない、落ちる、たいらになる」 F80 キャンバス、油彩 2012
服は、着る人がいれば、立体だけれど
いないと重力で落ちて地面にたいらになる。
目の前には何も無くなる。
見る人もいないんだけど。
でも、この絵、あなた、見てますね。今は。あなたも絵も空間にあるから。その裏付けは、今、見ているということだけに因るんだけど。という絵です。
ユニクロでバイトしはじめて、服めっちゃたたんだり見るんでかきました。





---
2011年のは卒制ですが、そのあと、地震が来て、
地面ってそんなに、ひとつの、ゆるがない、絶対の、ものじゃない、っておもったり、あと、リサランドール(四次元より上の余剰次元の存在の提唱者)ともだちに教えてもらってしって、
なんか、このあと、
星側の地面の想定とかになっていきます。自分が立っていない地面が当然に本当にある。

3回目The 5 Day Art Challenge #5dayartchallenge1回目→https://www.facebook.com/haruka.saito.589/posts/7545147513226512回目→...

Posted by 齋藤 春佳 on 2015年4月5日
スポンサーサイト

Comment

Comment Form
公開設定

Trackback


→ この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。