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【The 5 Day Art Challenge On Facebook】

【The 5 Day Art Challenge On Facebook】
指名された作家が5日間毎日3点の自作を紹介し、毎日1人の作家を指名してこの行動を繋いでゆくアートチャレンジ
‪#‎5dayartchallenge‬
なんか、アートチャレンジ、とか書かれてるまま言い切ったけど、
アートチャレンジって。なにでしょう。
なんか、べつに、チャレンジ、って感じもしないし、
日本語で言うチャレンジ、っていう、
何かに挑んでクリアするとか倒すみたいなことなら、
挑戦って言うのは挑戦する対象以外にその動向を見せるなら、よっぽど見応えのある試合じゃなきゃだめで、そうじゃないなら、チャレンジっていうものは1人でやってればよいのではないか。
ま、でも、そもそも英語だから、その日本語のチャレンジとはちょっと違う所から本当は始まってんのかな、誰のどういう動機から、はじまったことなんだろう、と思って調べたけど起源へ辿り着けなかった。
Facebookだし
そもそも海外から始まってんのかな、
そのchallengeの意味なら、
その日本語訳なら、チャレンジとか挑戦とかじゃなくて
しかけ、課題、説明の要求、とか、あと、申し込み、とか、なのかもな、チャレンジっていう日本語があるからちゃれんじってきくとチャレンジだと思っちゃうけど、ちょっとちがうことかもしれない。と考えて
意味の中でも自分は
しかけ、がしっくりくるかな?とおもった。
自分は、これを、チャレンジとかじゃなくてしかけと捉えるのがしっくりくるかな、と思った。
仕組みを人に渡す、しかけ
みたいなことだと思ってやります。
自ら、自発的にしている行為にもかかわらずあたかも外部からの仕組みに因って強制されたように振る舞うことが出来る仕組み。しかけ。
それにのっかって、
何かできるかな、ていうかやりたいことあるかな、と考えました。
自分は作品を作ることで一口で言えないことをやってる、一口で言えないから、やってるんだろうんだけど、一口で言えないからと言って何も言わないでいると、言語でも結構考えている日常の中で生きているから自分でもわからなくなっちゃう、
なにやってんだっけ、となっちゃうところがある。
言語化っていう
留める点を打つことで、
こういうことやってたのか、って判ることってある(留める点自体が作品のときもあるけど)

人に、見てもらって、あなたはこういうことしてるね、って時にも、その点は打たれる、あ、そうなのか、私そういうことしてるとも言えるのか、って判る。
このしかけはそれに少しよさそう、
自分で打つ点と言うのが大きい一つの目的、
SNSというのも、一つ、
と思いました。
なのでやりたくてやります。
作家の紹介について、
作品を通じて自分を紹介して頂いてメチャ嬉しかったから、メチャいい作家がまわりにごにんじゃなくてごまんといるから紹介したいけど、なんか、1人が5人紹介してそれがまた5人ってなんか、この手紙を10日以内に10人に投函しないとお前は死ぬみたいな、でも、そういうの、好きなんだよね人間は、なにか、だから世界にあるんだよ。そういうものは。
私も人間だし。
だからといって、
どうしようかな。
私はどうしたいかな。
って思っていて、
ご紹介してくださった、村上佳苗さんをまず紹介したいです。
もうルール破ってる。
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村上佳苗さんは、多摩美の先輩で、6年前のviaartでお知り合いになることが出来て、そのあと、2012年のTWS−emergingで、偶然にも同じ期間に展示をさせて頂くことが出来ました。TWS青山に打ち合わせ?で訪れた際に「このちかくにきたらAtoZカフェ行ってアイス食べる」とおっしゃっていてかわいすぎ、と思ったのを覚えています…。
主に制作されているのは、絵画作品ですが、TWSでは映像作品と立体も展示されていました。瀬戸内海の大三島という島で生まれて育ったことが、村上さんの制作に根深く関わっています。
その絵画は大体、大きいものが多いです。
描かれてる物とか人はめちゃ小さいことが多いです。
いや、大きいもの(ものなのかなんなのかということもある)を、描いていらっしゃる作品も勿論多いのですが、それを描く筆致は、小さい。描く過程で大きいストロークももちろんあるのだろうけれど、それがそのまま残っていると言うことは、少なくて、小さい、細かな、ひとつひとつの筆跡に守られています。
その筆跡とか、小さいひとを描く瞬間に起こっているできごとを、推し量ることしか出来ないけれど見ながら思うと、ぎゅっとした気持ちになる。そのメチャ小さいのが、一回一回が、ひとつひとつが、集まって、大きい絵画が出来ている。その構造自体が、もしかしたら、村上さんが描くことで表そうとしている世界の形につながっているんじゃないかなと、私は思っています。描かれてるものがなにでも。
土地のアイディンティティによりそって制作をしている作家は結構いるきがするのだけれど、村上さんはそれが、極まっていて、消費されて消えたりしない物を作ることで、状況を作ろうとしてらっしゃる覚悟を感じます。
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自分の作品、昔の、いいわけなしではもうあんまり人に見せれないくらい昔のやつ載せます。それと、関連したコンセプトの作品ものせます。

「同じ雨」2007 油彩F100
時間が経っていつか死んじゃうって言う仕組みがめちゃいやで、
つらくても楽しくなくてもそれを感じられる今生きてるってのが超嬉しいけどそれすらも過ぎちゃう仕組みがめちゃいや、
時間の仕組みがめちゃいや、
この、生活の形がメチャ好きで見ていたいのだが、その生活の形も時間が過ぎるって言う仕組みの中でしか現れられない。
時間のように
雨が降り続けていて
それがいやだけれど
けれど、
その雨が降ることによってしか、犬も花も人も現れられない。
というのを、白い雨を描いて、その雨によって犬とか人の足下とか花とかが現れているということができて、おーはじめて、自分の思いと絵画がちょっとだけ連動したかも。と思った、大事な絵です。
何かを描くことで何か別の物を表現することが出来る
絵画に何かを表すことで、何かがどうにかなるかもと描いてましたが
このあと、
といっても一年半後くらいに
なんかこういうこと表そうと思って描いてますけど全然足りないし描いてる間も時間が本当に(!)流れちゃってどうしよう、状態になり、ひとふでがきとかの時期になります。
★★
「雨宿りの効く場所」2010 木、雨水、樹脂
水がかかると木の像が現れる作品です。
雨が降らないと雨宿りは出来ません。
雨にぬれたくないからする行為だけれど。
雨が降っている中でしかその行為は現れられない。
なにかでなにかをあらわしてるけど、雨だしっつって
ベランダで雨水をためてそれを作品にかける用のきりふきにつめてました。
今思うと気持ち悪い女子大生だな。
この投稿も前置きがというかなにもかもが長過ぎて気持ち悪いです。
じぶんのこときもちわるくないっておもってたの?と今日言われたのが冗談だとしてもボディーブローのようにだんだんと押し寄せています。おもっていました。今は少し考え直しています。おやすみなさい。最後のは
★★★「宝石と眼球が地中で出会ってもまっくら?(眠る人)」2012 F0 油彩 です。眠るので載せました。

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