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さつまいもが私が、2011

切られてアルミホイルに包まれたさつまいもがトースターで焼ける間の時間

黒いタイツと長袖とパンツとブラとワンピースに包まれた私が
洗濯をたたみ、それで、新しく洗濯機にセットして、久しぶりに湯川潮音聞いてみようと思って、CDセットして、ゴミ箱にファブリーズしたりしてる間の時間

主体的動作は、本当はどこに主体があるのか
本当は全部が、される にくるまれているかも
さつまいもの 焼かれる みたいに
焼かされたり、たたまされたり、思わされたり、CDセットさせられたり、ファブリーズさせられたり
それら自ら してる って思ってるだけかもしれない。

けど

私がさつまいもを焼く動作しているけれど
さつまいもが、やこく、黄色く、ほくほくにたまにかりっとしたとこあるように、なるのは、
そのメタモルフォーゼは
私がしているんじゃなくって、さつまいもが、なってる。
そこに主体があるような
私がする(させられる)効き目と、
私がすることの力の及ばない次元を、さつまいも自らが通過してのち

私が食べる/さつまいもが食べられる

その時、
私が食べる、ということすることが、もしもさせられてるのだとしても
おいしい!ってなってる私は、
してる、なってる。何にも、めっちゃ強くて無くすことのできない時間や重力や生まれたら死ぬ仕組みなどにされてるすべてにも、侵されたりはしない、 する が、きっと、確実に、その時、ある。


そういうことが、私が、絵を描く、を生きてる時間の中で する 理由のうちのひとつです。



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服装の成り立ちも今となんだか違うしゴミ箱にファブリーズする行動の理由が分かりかねるけれど、ここで2011年の2月の私が書こうとしてるのは自由意志についてのことだな、とさっきの私は思った。自由意志のことを扱うような盛り込み方をした作品も作るようになってきたけど、扱わないところ、扱うみたいな向き合い方とは別の所で自由意志についてやっぱりずっと気になり続けてはいるんだったんだな、と、改めて感じた。
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