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秋の夜、ゾンビ状態

9月15日、今日の空気はめちゃめちゃきもちがいいです。
歩きながら
ただ生きてもいいんだってことを最近知ったな。と思った。
だんだん、だんだんしってきていたんだけど、長い時間をかけて、なおかつ、急に知った。
ただ散歩をしていい。

そんなの当然なのかもしれないけれど。
私は、意味がないと人生にならないと思っていて、だから一生懸命だったところがあるんだけど、意味付けを超えて動く人生の現れがこれがどううそものなのって何度も何度もがばがばと目の前に現れてくれて、人もきらきらと私を巻き込んでくれて、本も、それはずっと前からおこっていたんだけど、何度も何度も、それを色んな所で色んな風に見て、やっと、今、ここに来たという感じがある。ここに来たというかここに来れる時があるようになったというかんじかもしれない。
ただ生きてもいいんだって最近やっと知った。
知ってたかもしれないけど、
さいきんついに、ぺらっとつつまれる、自分の心がちゃんと楽しい時がある。


私は近頃思い出したものを元に描くということをすることが多い、つまり目の前に無いものを描いているんだけれど、
順不同に今までの人生で目の前にあったものが脳裏に現れてくる
それって、いうなれば走馬灯みたいな感じだなあと何となく感じていて、
そうして絵を描き続けていて、そのあと外に出ると、

死んだあとなのに、
この世界にまた生き返ってこれた。
みたいなきもちになってしまって、目の前の何でもない景色が目にズバズバ入ってきてもはや泣く。
ゾンビ状態
おばけかな。

思うのは、
すごいじゃん、すごすぎ、ぜんぜん思い出しきれてなかったよ、
よかった、これをもう一度見れて。
ということ。
だってぜんぜん思い出せなかった。
この木の葉の重なりの現れ方の一割も思い出せなかった。
三角コーンの頭に付いたよくわからないライトがつらなって緑と赤とオレンジのかわいい色にめっちゃ点滅してるし木の隙間の夜はぎゅっとくらいし、へんな形の電灯だ、AOKI、ツタヤ、葉っぱは赤と緑が混じりながら暗闇から出てきてるし、夜の公演は静まり返ってベンチが光ってるし、なだらかな芝生、えーん、だれもいないし、死後かよ、でもこんなに、こんなに全部
思い出すものより何億倍も解像度がすごくって現れて、
うれしい、よかった、また生きてこの世界に帰って来れて。
よかった。

って別に死んでないけれど思います。


結構前にF50号二つを描きあげて搬入した直後なんかは、その日に音楽のライブを見たんだけど、もはや、生すぎて、その、
絵を描くにあたって私はもはや死後に一生懸命思い出すみたいなことをしまくって頭の中でぷよぷよできちゃうくらいのノリで頭の中で絵かけちゃうくらいのモードになってたから、もう本当に生のものの目の前への現れが凄すぎて、ヤバかった。
その日はケバブジョンソンを見てファンになりました。




動いてる世界を見ると、
本当に今起こっている世界を見ると
すごすぎて
ぜんぜん絵なんてうつしとれてなさすぎて
こんなに凄くってそれが嬉しいなら、それを、見てればいい
絵なんて描かないで、それを、見てればいい
自分は写真を撮るっていうのがそこに居ることから遠くなっちゃう感じがするから大事なら大事な場面であるほど撮れないみたいなところがあるんだけど、(それは写真が、ではなくて、自分が写真をのときそうっていうことだけです)
む、って思って覚える時だってなんだか半分くらいそこに居ない所があるから、目になってるから、そうじゃなくても覚えてる時というのもあるけれど、なんというか、
そんな、描くなんて下心ださないで
ただみればいいじゃん、
ただ生きればいい、っておもえそうになる。

けど。
その見てる風景もやっぱり消えてしまう、見たすぐ後から消えてしまう、その仕組みがどうしようもその仕組みの中では解消しようがない。
だから、
いびつなことをするんだとおもう。
全てそのままを残したいけど、方法がとてもたりない、ということで、
でもその仕組みの外から仕組みに触れるようなものを作ることで、方法が編み出されるのでは?
という中2みたいなほんとに、そんなかんじだけど
それが、なんか、たのしいからとかすてきだからとかじゃなくて、世界に対して本当に効果があると信じるから、
こもって、制作とか、してしまえるんだと思うなと最近考えました。
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