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大事な人を大事にできますように、私が大事にできない私の大事なすべての大事な人にさちあれと本当に思いながら、目をつぶって、太陽が、目の裏にしみたまま、10秒歩いた
という一月の日記があって、確かにその記憶はあるが何考えてそうなんだ、と思った
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artchallenge2



1回目→https://www.facebook.com/haruka.saito.589/posts/754514751322651

なんか時間とか表そうと思って描いてますけど全然足りないし描いてる間も時間が本当に(!)流れちゃってどうしよう、状態になっての、ひとふでがきとかの時期の作品です。


「今はもう今はなさそう」node(東京造形大学)2009

6日間の展示期間
一日一本
入り口から出口まで
ぐるっと
ひとふでがきではなれないでかいたやつです。
さむかった

★★
「よるなくなく寒、輪腕で沢む汲、なく泣夜」
(夜泣くな、汲む沢で腕輪、寒くなくなるよ) b1 紙、筆ペン 2009

時間を何かで表現するみたいなことの無効性に困って、何かいたらいいんだ、となって、
回文をつくってタイトルにして
そこから、ひとふでがきで描く
ということをやっていました。

回文も一筆書きも上からも下からもたどれて、何か時間の仕組みみたいなのを変えられるのではないかというようなことを考えていた。

★★★
「先まつの鷹いなただめ、鹿む噛飯だた「。ない硬のつまさき」」
(「きさまつの硬いな。」ただ飯噛む鹿、めだたない鷹のつま先) b1 紙、ペン 2009

これは裏まで一筆書きしてました

---
思い返すと、
身体がわりとムキムキしていたというか
身体的なところでやっていた。
時間を何かに因って表すみたいなことが不可能というか無効なのではないか、みたいなところに、いって、一回油絵やめて、
身体が物体や空間におこす運動性を、
手がかりにしていたような気がします。

そこから、
運動性から、
物物の持つ運動性、
位置エネルギーとか停止している物に重力抗力が働いていること、
時間っていうのはそれに伴ってくるんじゃないか?その物物の現れを便宜的に時間と呼んでるんじゃないか?みたいになって、
それを手がかりに
インスタレーションとか、油彩もやるようにになっていきました。


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