沖縄のこと

那覇で手塚太加丸くんの
「しらこがえりプロジェクト報告展」を見ました。
その話と
沖縄と
絵の道具の話3本だてです。書いてたら長くなっちゃいました。
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手塚太加丸とは、8月には岡山のlitで内藤由樹と一緒に展示をしました。
7月に彼の屋久島でのしらこがえりプロジェクトhttps://www.facebook.com/Shirakogaeriに、ともちゃんと一緒に参加して、(ほんとわたし遊びにいっただけだけど)
今回その報告展が那覇であると聞いて那覇行きました。

ともちゃんは
屋久島料理を展示のオープニングで再現するという役割をになっていましたが
私はやはりほぼただ行ってみました。少しふわふわ揚げを揚げていた。
見れて、空気が吸えて、色んな人と会えてよかった。
初対面、というきもち。
再度、段々と会っていけるのだろうと、思っています。

今回の展示は
全面床を張るという、ものすごい物量とエネルギー量のことをしていて
「これを、思いついても、やろううと思わない…」と言った。
それを、後々太加丸くんがきにしてしまったと聞きましたが、
褒め言葉で言った。
思いついても、
無理だな、
と思って、思いつきにいれないでしまう規模の事を
やろ、
と思えるのは、
無理かもだけどがんばろ、と思うのとかもちょっと違って、(がんばっていましたが)

その物量の木材を近くの港で貰い受けてくることや、
周りの人から手伝ってもらえること、
周囲との関係の中で制作(制作?)、できごとをおこなっていく、
そういうのが、普通
考え方のフロアに広さというか、
可能であるところに普通にいるから、
やろ、と思えるのではと、見てて思いました。

手塚太加丸君は目的がはっきりしているなあと思っている。
大体色々聞くと「まだ決まってない」とか展示始まる直前くらいまでずっと言ってて本当に決まってないようなかんじなんだけど、そういう、形の着地点がはっきりしているという意味ではなくて
目的が、はっきりしているなあと思っている。

ものごとをやるときの判断において
他人の欲望を自分の欲望にしてしまうことはけっこう、意図せず、ありがちだとおもうんだけれど、
こういう展示をしたい、とか
大きくするとか、
すごくするとか、
そういうところにも本当の目的はなくて。
大きくすごくなってたけれど。
また、
美術史の中で、新たな価値を作り出すとか、
建築、とか、
なんか、展示のフォーマットから出発していなくって
今回で言えば、来年につなげること、今度訪れた限られた人達の個人体験を、共有できる形に落とし込む事、また、その過程でおこるできごとの場所を作る事、ていう感じの事が小目的としてある感じで、
大きい目的と言うか、その先の遠くの方に、10年後や今までの白川山があるから(白川山をどうしようということが決まっているのではないのだけれど)
なんか、はっきりしてる
あこがれとかが出発点ではないということだろうか。

あまり見た事が無くて、面白くて、わくわくするなあ、と主観で勝手に思っています。
見さしてもらってゆきたいです。

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沖縄はとても魅力的でした。
まだセクシーゾーンには踏みいれてはいない気がするけれど。
また、夏に来て、どばーと、何かを浴びたい。
あ、ベトナム市はかなりのセクシーゾーンだった。
海も。城跡も。
海岸で
焼き物のかけらみたいな骨のかけらみたいな、海から現れた色んなかけらを拾いながら
次は、何かをしにきたいかもしれない。と思った。

でも、それは、やるやる!じゃなくて
よさを、出しあうみたいに出来たらいいです。
沖縄に、いいとこ見せて、変なとこも見せてほしい。
それにはもしかしたら私も変なとこみせないといけないかもしれませんね。
それは、長野でも、言えるのだけれど…

話がそれた
あと、私は内地という外部から沖縄へ来たということを強く意識しました。
自分が普段持っている長野出身である意識よりも強く意識した気がする。
(自分は自分の地元に向き合わな過ぎかもしれないのだけれど)
言葉が通じるけれど、違う国、だと、知らなければいけないみたいな
同じだと思ってはいけないというか、
でも、別に同じだったりもする。
つまり、違う国、と言う概念も、パッキリとしたものではなくて
グラデーションの中にあるものなのかも、というふうに、初めて思いました。
あ、最初は、国と国とかではなくて、本当に別々に個人の中に、感じとして、立場の感じみたいなのは、相対的にあるのかもという感じにふわっと思った。


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最終日に紅型(びんがた)の工房に見学に行かせてもらったのが、
予想よりも、ものすごくよかったです。
9月の個展で、
あいのちゃんに「びんがたすきそう〜〜」
っていわれて、気にはなっていたのだけれど、よかった。
ものもたいへんなかっこよさだが、
多分道具に興奮した。

大豆の汁(ごじる)がメディウム、たんぱくしつ。
餅粉と糠でつくったのりでマスキング、後々水で溶け洗い流す。
人の髪、鹿の夏毛と冬毛で作った筆。
突き切り、と言う技法で型を切っていくのだが、
その時使うナイフも、使う人の手癖になじむ形に作る。
カッターマットが乾かした豆腐だった。
「最近なんか、固くて。手が痛くなる。遺伝子組み換えのせいか…。」


自分はインスタレーションは道具の集め方が、なんとなく、ひとつひとつ、自分の納得があるのだけれど。
油絵に関して。
自分は油絵道具の全般を
資本主義の原理に乗っ取って
貨幣との交換で手に入れています。
譲って貰ったり拾ったりもあるけど。
作りだす技術を絶対持っていなくて貨幣と交換でしか手に入れられない、と思っている所があるから、
ある程度、金を惜しまなかったりも出来てしまうのだろうと思っている。

でも、
どうなんだろう〜どうなんだろう〜…、
でも、久しぶりに使うと、めっちゃ、かきやすい〜…
いいキャンバス描き味すばらし…
コリンスキーさまさま…
とか思いながら、やってんのを
でも
どうなんだろう〜…
と、
ここ一年くらいの間に何となく気にし始めていて
(ものすごく好きだったホルベインのマングース筆がいつのまにか絶版になって、やば殺しすぎた、でもまだ欲しい、と思った)
(自分の手で殺して作っていたら、殺しすぎなかったかもしれない、もっと大事に使ったかもしれないと思った)
(自分の手で殺すならまだ作れるのでは、と思った)
(自分では殺せないのでは、と思った)
(筆のために自分の手で目の前の動物を殺したりは出来ないのでは、と思った)(だったら別の方法を選べるのでは)
(でも遠くであらかじめ死なせて、筆を使っている)
そもそもの膠とかも、うさぎちゃん…とか思えてくるし
なんか、馬の耳毛くらいなら死なないよねとか色々思いながら何にも考えずに、肉まんとかおいしく食べています。

今の所主義とかなんにもないけど、
ただ、
大豆の汁が、マジって、マジかー…!
と、可能性みたいなのを感じた。
筆は、もちろん作ったりできるのだ。
私が、見聞知らず過ぎるのだけれど。

単純に、
わあふしぎキャンバスってなぜかこんなに四角いわあ、凄いしかくい、とかも思うし
なんか、少しずつふつうにいろいろ変えるのだろうなあ
と思っています。

そういえば四角い絵が入選しました。
来年の2月から3月新宿で展示がされます。
入賞しなかったのは激烈に悔しいですが、わからなさ、とかはないです。納得。
今年出展される方々では直接知っている方はいないけれど、
昨年度は、絵描きとして尊敬している、と言うか、見るたびに、私は絵描きじゃ、ないやんけ…とうちのめされるすばらしい友達たちが出展していたので、嬉しい場所、楽しみです。
これはまた。


感じる前のさむさはこわさに似ていますが、
いてみると、さむさもやはり好きです。長野。
本当に、どこにでもいる可能性はある、
那覇も、東京も、住みうるなあと言う気持ち。
思っておく、ということは大きいな、と思います。
だからこそなおさら、しっかりしよう、コツコツと、準備のような修行のような、
表面をぐわっと動かすときだけじゃなくて、
そこで、わあわあびっくりするよ、とまどっています、だけじゃなくて
その都度の大きい流れにその時毎ついていける自分に、なっていけたらと、今は思っています。なかなか、難しい。
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足の裏の筋を違えてしまったみたいで、湿布を貼っている、新しい感覚。



足の裏を、湿布でスースーさせながら(主体の身体自体が逃れえない外部及び内部として特に知覚として現れる)
展示を見たりして、思ったのだけど(身体をその場において見る)
やはり、何を、目の前の
触れられるにするかが大事というか、
そこでしか、やりようがない。


たとえ
触れられる範囲だとしても
実際に触れたとしても
犬を撫でても撫でても到達しない、届けない、たりないように

触って良い円筒状のオブジェを持っているにもかかわらず、そこに描かれた遠くの風景のように

目で見た葉の厚み、それをさわったつめたさ、けして、葉の表面の内側にはいけない、断絶を触れたゆえにはっきりと、感じたように

触れたとしても、
なにもかもは、遠いままだ。
触れられるからこそ、遠ざかるかもしれない。
私の足の裏の痛みも、
外には伝わらないし。

でもだからこそ、触れられる近くのものを、どこまで見るか、触るかしかないような気がする。


外側といっても、

なんか、頭に浮かんだ人からその瞬間連絡がきたり、あとあと連絡がきたり、
同じ音楽が流れたり、
占いがあとあと、そのまんまだったり、
わあ、とおもうようなことごとに普通に出会うたび、
自分の内側と外側もたいしてかわらないのかも、ということも思います。
最近はそういう偶然みたいなのがありまくりすぎるので、流しているけれど、なんか、流れにほんとにただそってるのかもしれない、と思ったりしています。

明日から沖縄にいきます。ただいく。
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